生きるとは日々を染めること

日記および過去の書き残し ぜんぶわたし

なんのはなし?笑

2024年1月12日のできごと。

 

去年の秋くらいから、お昼は休憩スペースで同じ部署の同期数名とご飯を食べることが多くなった。誘い合うわけではなく、各自の気分やタイミングによりけりでなんとなく集まるから、日によって2人だったり3人だったり4人だったりする。

同期というか実際はみんな1年先輩なのだけど、私は大学を1年休学しているので歳が同じで、少しずつ話すようになり、今となってはまるで同期かのように接してくれている。冒頭では便宜的に同期と書いてみたけど、虚偽をよしとできない性質の人間なので結局説明している。

で、この日私は自分の席で会社の給食を食べたあと、休憩室へ食器を返却しに行ったら、3人がいたので合流した。ちょこっと話して、みんなで仕事場まで戻る途中、市販のでっかい鏡餅の話になって、あれって中に小さい個包装のお餅が入ってるんよね〜みたいな話をした。

そしたらAちゃんが「中に入ってるお餅って、ちゃんと水に入れて食べれるやつやんね?」みたいなことを言ったので、私はすごく気になった。

私「えっ、いつもお餅ゆでて食べてるん?」

A「お餅ってゆでて食べるもんじゃないん?」

私「デフォルトっていうか一番よくある食べ方は焼くじゃない?お餅の絵も、四角の上に丸く膨らんでて」

A「たしかに。でもお餅焼いて食べたことないかも」

私「そんな人いるんや!?」

A「いつもきなこかけて食べること多いから」

私「あ〜、粉っぽいのかけて食べるならたしかにゆでるのがおいしいかも」

A「あとうちの家族みんな固いもの好きじゃないんよね」

私「あ〜、焼いたお餅の外側のとこ歯にめっちゃくっついたりするしね」

A「そうそう」

 

お餅の食べ方のデフォルトが「焼く」じゃない人がいることを知らなかった。私はこういう、身近な人が自分と全然違う文化を持っていることを目の当たりにするとき、とても面白いと思うし、どんなくだらないことでもその人の新たな一面を知れるということが嬉しい。

だけど話がひと段落しかけたところでAちゃんはこう言った。

「…なんのはなし?笑」

この言葉、会話の落とし所を作るための切り札としてめちゃくちゃよく使われる。私も使ってるかもしれない。

でもさ、私は思う。これを言うのって、その話をさほど面白いと思ってないからじゃないの?このままだとオチがない、って思って言っちゃうんじゃないの?少なくとも私がこの言葉を使う時は、そんなほのかな焦りがある時な気がする。関西人の性なのか?オチがない話はしたらあかんのか??そんなわけなくなくなくない?????

 

Aちゃんの「…なんのはなし?笑」を受けて勝手に若干落ち込んでいる私がいた。Aちゃん的にはそんなに広げるほどの話じゃなかったかなあ。ていうか、Aちゃんにとってはただただ当たり前の話をしてるわけだからそりゃ「なんのはなし?」ってなるか。私が話を面白くできなかったせいかも…。

…いや、Aちゃんはまったくそんなつもりで言ったわけではないとわかってるのだけど。私がこんなこと考えてるって伝えたら、「そんなこと気にしてたん!?笑」って、絶対言ってくれるのだけど。

Aちゃん、あのときの餅談義、私はめっちゃ面白かったよ。

ところで、私の故郷奈良の唐招提寺では、新年の修正会という法要で若手の僧侶が、鏡餅をお供えした人の名前を読み上げたあとにお餅に関する講釈や全国の名物餅の名前を披露するらしいよ。そのことを「餅談義」って言うらしいよ。

…なんのはなし?笑